谷根千と私




武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。
どの路でも足の向くほうへゆけばかならずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。

−国木田独歩 『武蔵野』−

 大げさなエピグラフで始めましたが、タイトルからも心配されるとおり、これはなんとも独り善がりで不親切な谷根千案内です。
 あなたが、ガイドブック片手に限られた時間の中で効率的にこの町を歩こうとするのならば、 浅草や柴又を訪ねるように下町情緒を求めて名のあるお店を探そうとするのならば、 これはまるで役に立たない案内です。本屋の店先やWEBの中には、もっと便利で洗練されたガイドがあります。
 でも、ここにある写真集を何度かご覧になった方なら、何か一つぐらいはお役に立つことがあるかも知れません。 どうか、おつきあいください。



谷根千を歩く

 谷根千を訪ねるなら、時間だけはたっぷりと取ってください。 そして、町歩きの計画は立てない方がいい。なぜかといえば、時間に縛られ、立てた計画をキチンと実行しようとすることで、かえって失うものの方が大きいように思えるからなのです。もちろん、前もってこの町について下調べをしておくことは大切なことですが。
 坂から坂へ、路地から路地へ、迷うことを恐れずに心に響く風景を探す。 思い出となる風景を見逃すことのないように、気に入った風景を見つけたらその場所に自分が溶け込めるように、 ただ、ゆっくりと町を歩く。 歴史を辿り、山門をくぐっては墳墓の苔を掃う。文人や芸術家達の暮らした街角に佇み、彼らの作品に思いを馳せる。 夕暮れ時、人恋しくなれば、夕餉の買い物で賑やかな商店街を探って、ちょっとしたものを購ってみる。 陽が落ちれば、そっと入った店で一杯やりながら、地元の人達の会話を楽しみ、やがては自分もその中へ。 そんな、町歩きをしていただきたいのです。長い時間が取れないなら一時間でもいい。あちこち欲張りをしなければ良いのですから。 くれぐれもゆっくりと、静かに、出来れば一人で。
 季節は春がいい。秋は一日が短く、夏は登り坂が、そして冬は日陰が辛いから。 早春の雪、霊園の桜も捨てがたいけれど、私は新緑の美しい五月が一番好きです。この時期、谷根千の路地は花々に包まれます。他の季節も悪くはありません。町並みをカメラに納めるなら、真夏の陽射しに映える家々とお婆さんの日傘が嬉しい。晩秋の夕焼け。新年の初詣と富士見坂から眺める富士山。そして、八月はお諏方さまの、九月は根津権現のお祭りです。
 繰り返しになりますが、谷根千は迷ってあたりまえ。道はメチャクチャ、元々寺々の隙間や田んぼの畦道だったのでしょう。碁盤の目は根津と桜木ぐらい。街角で途方にくれても、ガイドブックやお連れを責めてはいけません。迷うことを楽しんでください。坂道を下りさえすれば、おそらく不忍通り。地下鉄かバスかタクシーに乗れますから。
 暑い日は飲み物を忘れずに。嬉しいことにコンビ二の極端に少ない町です。なお、地図*は役に立ちます。歩き疲れて一番近い帰り道を探すために。

*絵図『谷根千界隈そぞろ歩き』、または地域雑誌『谷中・根津・千駄木』掲載のちずが便利です。
 谷根千のあちこちで手に入ります。

 さて、谷根千散策に参考となる図書をご紹介いたします。まずは、なんといっても、
 ・地域雑誌「谷中・根津・千駄木」−谷根千工房−
  既に90冊が出ています。発行元の谷根千工房HP『谷根千ねっと』から 各号の内容がわかりますから、興味
   のある号を求めると大変参考になります。谷根千ねっとには入手できるお店も掲載されています。 なお、
   この季刊雑誌は、2009年8月の94号で終了となりました。入手はお早めに。


 次はこの雑誌の執筆者の一人、森まゆみさんの著作。ごく一部を紹介します。
 ・「谷中スケッチブック」 −ちくま文庫 1994年−
  ちょっと古いですが、非常に密度の濃い本です。初めて谷中を訪れようとする方が気楽に読める一冊
   とはいえないかも知れません。ですが、これに勝る谷中ガイドはないと思います。

 ・「不思議の町 根津」 −ちくま文庫 1997年−
  谷中スケッチブックの根津版とでも言うべき一冊。
 ・「路地の匂い 町の音」 −旬報社 1998年−
  谷根千を中心に東京の町への筆者の思いが心に響きます。
 ・「明治東京畸人傳」 −新潮社 1996年−
  書名からはうかがえませんが、谷根千に暮らした人々の伝記。
 ・「人町」 −旬報社 1999年−
  アラーキーこと荒木経惟との共著 写真と随筆の楽しい一冊。

 最後に、谷中ぎんざ各店の看板で知られている剪画家 石田良介さんの切り絵集
 ・「谷根千百景」 −日貿出版社 1999年−
  地図と解説付で谷根千の見所を網羅。森まゆみさんの巻頭言。持ち歩くには重いですが、おすすめです。




私の好きな散歩道

 あくまで私の個人的な好みで、あまりガイドブックに無いコースを選びました。で、谷根千散策の定番『日暮里駅〜夕焼けだんだん〜谷中銀座』『三崎坂』『御殿坂上〜三崎坂上の諏方道』は省略です。

[寺町から坂を下る]
 谷中四丁目の瑞輪寺門前から、大きなヒマラヤ杉のある『みかどパン』へ。このY字路を道なりに右に辿って延寿寺の角を左、急な三浦坂を下って『根津観音通り商店街』へと抜ける、私はこの道が一番好きです。 静かな寺町から賑やかな商店街へ、この移り変わりがいい。下り坂で楽ですし。 瑞輪寺へは、日暮里駅南口から谷中霊園を抜けてゆきます。
 もう一つの道は、ヒマラヤ杉に向かって右手の横町、邦楽のお師匠さん達の『おけいこ横町』へ入って、妙福寺の角を右に曲がり、玉林寺境内へと抜ける細道。屋根のある井戸に出会えます。知る人ぞ知る散歩道です。また、三浦坂上を右へ曲がってお屋敷町を抜け、見晴らしのいい『あかじ坂』を下るのも良いものです。私はいつも、ヒマラヤ杉の下でどの道を取るか迷うのです。

[区界を歩く]
其の壱
 道灌山下から根津銀座まで、よみせ通りとへびみちをクネクネと歩きます。台東区と文京区の区界、
 旧藍染川跡です。新しい風景を期待しながら角を曲がって行くのが楽しい。ま、あまり代わり映えの
 する風景は現れませんが。
其の弐
 道灌山通りから谷中銀座のちょうど真ん中へ抜ける荒川区と台東区の区境の道。田んぼの畦道のよう
 な細い細い路地を歩きます。これぞ谷中の路地。何処に連れて行かれるのか心細くなりますが、曲が
 りながらも一本道です。歩きにくければ、この道の千駄木寄りに、もう少し広い路地があります。
 こちらの道の家々の軒先には丹精込めた花々が咲き競っています。根津まで続く花遍路の道です。
其の参
 静かな町、台東、文京、荒川、北の四区境から与楽寺へと。竜之介始め多くの作家、芸術家が暮らし
 た『田端文士村』の残り香を辿りながら坂を上り、田端駅南口へ抜けるのもいい。
其の四
 区界ではありませんが、鴎外が、荷風が歩いた千駄木『藪下の道』も忘れてはいけません。団子坂の
 中程、鴎外記念館の角から根津裏門坂へ抜ける美しい通りです。
 きりがありませんね。

*みかどパンから根津観音通りの風景:『谷根千ふたたび』谷中みかどパン店
 おけいこ横町から玉林寺境内の風景:『谷根千ふたたび』みかどから玉林寺へ




私が谷根千を知ったのは

 私が谷根千、正確には谷中を知ったのは、『セピア色の町 谷中散歩』という一編のエッセイからでした。 ちなみに、このサイトのタイトル『セピア色の町に暮らして』は、ここから勝手に頂戴したものです。 筆者は、詩人にして絵本作家の岸田衿子さん。 ほとんど食べ物に触れていないこのエッセイが、なぜか 『スーパーガイド東京B級グルメ』(1986年11月発行 文春文庫)というB級グルメの草分けとされているガイドに掲載されていました。もちろん、私はグルメが狙いで買ったのですが、このエッセイの優しく美しい文章が深く心に残りました。たとえば、こんな一文です。
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  谷中の路地は、今でも板張りの家、枝折戸や引き戸のある家が残っていて、縁先や玄関脇に
  鉢植えを一杯並べた家が多いのが特徴です。そこの家のおじさんやおばさんは、毎朝顔を合
  わせるようになると、必ず「今日はまた涼しくっていい塩梅ですね。」とか、「この調子じゃ
  明日まで保つんだかどうだか」などと、私が相談したわけでもないのに、お天気のことを話し
  かけるのがきまりでした。
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 岸田衿子さんは、ルナールの博物誌やにんじんを翻訳した劇作家の岸田國士さんの長女。妹は先頃他界された女優、岸田今日子さん。衿子さんは芸大の学生時代から長く谷中に暮らしています。現在は一年の大半を浅間山麓にお住まいとの事ですが、留守宅の軒先はいつも清楚な花々で飾られています。
なお、地域雑誌『谷中・根津・千駄木』七十六号には衿子さんのお話しの貴重な聞き書きがあります。
 さて、初めて谷中を訪れたのはいつか。これだけ谷根千に入れ込んでいるのに、実ははっきり覚えていないのです。昭和63年(1988年)前後だと思います。  水戸出身の私は、高校を出てからは東京暮らし。帰省のたびに常磐線から谷中霊園や寛 永寺墓地を見上げて、さすが東京の墓地は広いと妙に感心していましたが、岸田さんのエッセイを読むまで、そこにこの様な町が広がっているとは思いも及びませんでした。  日暮里の駅を下りて初めて御殿坂の上に立ち、広い空の下に広がる町並みを眺めた時の 感動は今も忘れません。見知らぬふるさとに出会ったような不思議な驚きでした。谷中銀 座と周りの路地を歩き、夕暮れの谷中霊園に子供のときから尊敬していた牧野富太郎の墓 を尋ねました。なかなか見つからず、偶然見つけたのは勤務先の創業者の墓のみ。あきら めかけていた夕闇の中で、やっと横長の墓石を見つけた時の喜びも夕焼けだんだんの風景 同様、記憶に鮮やかです。その後、茨城に転勤となってからも、時々この町を訪れるよう になり、谷根千への愛着は強くなっていったのでした。


動坂下に住む

 そして、東京への単身赴任を契機に、ついに憧れのこの町に引っ越しました。それから は、『谷根千』や森さんの著作を読み漁り、新しく買ったデジカメをポケットに路地から 路地へ歩き回る毎日となりました。そんなある日曜日、『抱きしめる東京』を読んでいて 意外なことに気が着きました。どうも私の暮らしているマンションは森姉妹の実家の跡地 に立っているのではないかと。筋向いの創文堂のおじさんに聞いたら間違いないらしい。 千駄木四の一の十四、『路地の匂い 町の音』で確信となりました。偶然とはいえ、これは 不思議な縁と一人で悦に入ったものです。でも、一年足らずで、泣く泣く茨城に戻ること になりました。しかし谷根千への想いは止まず、とうとう谷根千写真集のホームページを 立ち上げる事となったのです。


なぜこの町に惹かれるのか

 さて、人生の半分が東京暮らしとはいえ、なぜこれほどまでにこの町に惹かれたのでし ょうか。いろいろ考えたのですが、今は故郷への想いがそうさせたのだと思っています。 昭和24年生まれの私は水戸の街中で育ちました。でも、現在、幼い頃の風景は故郷の何処にも残っていないのです。古い建物は戦後建ったものばかりで歴史的価値がないためか、 風情ある木造家屋や商店はなんのためらいもなく「住みやすい」住宅メーカーの工場製品 や高層マンションに建て替えられていきます。モータリゼーションの波は、路地を高規格 道路に、古くからの商店街をシャッター通りに、郊外の田園風景をインターチェンジと大 規模ショッピングセンターへと変えてゆきます。戦災で丸焼けとなった北関東の中核都市 はどこも同じような状況のようですが。  私の現在の家は、戸建住宅の立ち並ぶニュータウンにあります。実家は借地で、社宅暮らしの煩わしさを逃れたいばかりに持家しました。緑濃いきれいな町並み、家の玄関から 向かいの家の玄関までは、庭と駐車場と道路を隔てて20m。すぐ近所には千台単位の駐車場を備えた大きな店舗がたくさんあります。でも、人々は駐車場から駐車場へと車で移動し、通りを歩くのは犬の散歩の人だけ。ご近所のコミュニケーションを作るのは余程努力しないと難しい。自治会活動やボランティア活動やら積極的に参加してみましたが、日々のなにげない交流を築くのが困難なのです。贅沢と言われそうですが、予想外の状況にこの町に家を持ったことをいささか後悔しています。  かくして、幼い頃の故郷の思い出をたどるには、皮肉にも東京へ出るしかないのです。 田舎へ帰ることとは、上京することなのです。


旦那と呼ばれて

 単身赴任も四回目ともなると、だいぶ要領を覚えてくる。自炊は結局ムダが多い。外食に徹する事にした。 選んだ住み処は、すぐ近くに、コンビニ、飲食店、クリーニング屋、コインランドリー、酒屋と何でもある。 で、冷蔵庫も洗濯機も持ち込まなかった。部屋には小さなキッチンがあったが、端から使う気なんぞない。
 越した当夜から、近所の店を絨毯爆撃。 初日は荷解きに疲れ、部屋の並びのどこにでもあるような安居酒屋に飛び込む。店員は日本語のおぼつかないアルバイト。 古くからある地元の店ではなさそう。酒をさっさと切り上げて一人飯をはむ。
 二日目は筋向いにある昔からの店を最近こぎれいに改装したらしい焼鳥屋。 店を開けたばかりで客は他にいない。店主と思しき板さんとカウンタをはさんで差し向かいとなる。
「ビールね。」
「へい!」
熱いお絞りで顔を拭きながら、まずは、引っ越しのご挨拶。
「昨日、筋向いに越してきたんで.... よろしく。」
ちょいと大柄な大将、ニヤリとしながら、あごを突き出し気味にちょいと頭を下げると、
「旦那、どちらから?」
 ― 旦那? そうきたか。たまには悪くねえなあ。
ところが、翌日の鰻屋でも、キリッとした年配の女将が歯切れ良く、
「旦那さん、いらっしゃい!」ときた。 「那」と「い」は半分飲み込まれて、蹴っつまずいてる。
 なんとこの町、どこに行っても地付の店は『旦那』または『旦那さん』なのである。 お客さんでも、お兄さんでも、お父さんでも、社長!でも、(ご予約の)○○様でも、ましてやカウンター三番さんでもない。 『旦那』なのである。店と客との間合いが近い。ちょっと気恥ずかしいが、江戸っ子にでもなったような心持で、悪くない。
 ― 俺もそんな年かよ....
そんな冷静さは、当分頭の隅にご遠慮願うことにして、成り立ての地元民気分に浸ることにした。
もっとも単身だから、半人前だが。
                                       ( 続く )

   (柄に合わない文体はどうも書きにくいので、変えることにしました。)


 [今後の予定]
 ・谷根千って下町? 等々
 いつ掲載できるかは...未定です。
 初めての文章ページ、手直しを重ねながらのんびり進めて行きます。




[作者谷根千ページ]
谷根千総合目次 谷根千ふたたび 谷根千の坂 谷根千掃苔録
セピア色の町に暮らしてT セピア色の町に暮らしてU 谷根千で美を追って ドメイントップ

[谷根千リンク]
谷根千ねっと 田端文士村記念館 たてもの応援団 谷中ぎんざ 不忍ブックストリート 文京風景


   作者e-mail:admin@castanea.jp        Last Update : 2009.10.6