・坂
六阿弥陀道 屋上のらくだ
六阿弥陀道 屋上のらくだ

−谷根千は坂の町−

「東京の町は台地と低地が組み合わさってできている。その二つをつなぐのが坂である。
谷中は上野の山から田端、駒込と続く細長い台地、いわゆる上野台の上から西側の崖下にかけての町である。」
         (『谷中スケッチブック』 森まゆみ -筑摩文庫- から)


谷根千を、その真中あたりの団子坂で東西方向に真っ二つにすると、切り口は「ふたこぶらくだ」の背中のようになる。
北に向かって、左のこぶが本郷台(向丘)、右のこぶが上野台(忍ヶ丘)である。
こぶとこぶの間が旧藍染川(現在はへび道・よみせ通り)の低地で、そこを谷根千を南北に貫く幹線道路「不忍通り」が走っている。

したがって、谷根千は坂だらけということになる。

谷根千工房発行の絵図「谷根千界隈そぞろ歩き」をたよりに、まず旧藍染川から本郷台へ登る坂を北からあげてみる。
動坂、むじな坂、狸坂、大給坂(おぎゅうざか)、アトリエ坂、団子坂、根津裏門坂、S字坂(新坂)、異人坂、弥生坂、暗闇坂、無縁坂。

上野台へ登る坂は、富士見坂、夕焼けだんだん、七面坂、蛍坂、三崎坂(団子坂の続き)、あかじ坂(S字坂の続き)、三浦坂、善光寺坂(弥生坂の続き)、三段坂、清水坂。

上野台から、日暮里・根岸の低地へ降りる坂は、間の坂、地蔵坂、御殿坂(夕焼けだんだんの続き)、紅葉坂、芋坂、御隠殿坂、寛永寺坂(善光寺坂の続き)。

かくの如くである。

この数多くの坂が、谷根千に独特の景観を与えている。




御隠殿坂



はなっからどちらかというとマイナーな坂で恐縮だが、風情のある私の大好きな坂である。
谷中霊園から根岸の住宅街の裏へと降りる「御隠殿坂」

「御隠殿」とは根岸にあった東叡山の山主「輪王寺宮一品法親王」の別邸。
この坂は、輪王寺宮が寛永寺と御隠殿との間を往復するために作られた。

映画「忍ぶ川」のロケに使われたそうだ。




  
無縁坂

谷根千に関心におありの方なら、この界隈を代表する坂といえばまず「団子坂」を思い浮かべるだろうが、最も知名度の高いのはおそらくこの坂だろう。
年配者には鴎外の『雁』で、若い方には さだまさし の曲で、私の年代にはその両方で。

谷根千の南のはずれ、池之端から本郷へ登る「無縁坂

坂上に「無縁山 法界寺」があったことからついた名だが、『雁』が上梓されてから「無縁坂」とよばれるようになった、と思いたい坂である。

左の木立は岩崎弥太郎の屋敷跡。
坂を上り詰めて左に曲がると「三菱経済研究所」の風格に満ちた建物がある。



  
汐見坂の碑

本郷台の崖の中ほどを、根津神社から駒込に向けて南北に「藪下の道」が走っている。
この道が、根津裏門坂へと下るあたりが「汐見坂」。
坂の途中に「汐見坂と刻んだ碑がある。
道路わきの石垣の上にあり、注意していないと見過ごす。

坂を登り、しばらく行くと左手に鴎外の旧宅「観潮楼」の跡がある。

鴎外はじめ多くの文人が歩いた坂である。






紅葉坂

JR日暮里駅南口から谷中霊園へ登る「紅葉坂」
霊園めぐりには一番便利な道
坂自体はどうということは無いのだが、階段の下から二段目に実に楽しいものを見つけた。

モルタルの表面に紅葉の葉が散らしてあるのだ。
いかにも職人の町谷中らしい、粋な仕事である。
踏み面の向こうに左官屋さんのニヤリと笑う顔が見えるようだ。



紅葉坂の紅葉





夕暮れの夕焼けだんだん





JR日暮里駅から「御殿坂」を登り、老舗の並ぶ商店街を抜けると、谷中ぎんざに降りる「夕焼けだんだん」がある。
このサイトを作るにあたって、ほとんどすべての情報をその著作から頂いた森まゆみさんの命名である。

戦後、崖だったところに新しく作られた階段。
階段自体は駅の階段みたいでいただけないが、ここから眺める谷中ぎんざの風景は、よそ者の私にも懐かしく胸に迫るものがある。

谷中の代表的風景である。